江戸時代に入り、日本橋を起点とした一里塚が整備され、街道に旅人が増えるにしたがって木や石に書かれた標識(街道名、行先、社寺、領名などが書かれたみちしるべ)が街道のわきや辻々に立てられた。これらは道中の旅人に多くの利便と安堵を与えたといわれている。これが昔の道路標識であったと思われる。 現在、道路標識は道路における交通の安全と円滑な運行を図るとともに、道路構造を保全することを目的としている。道路標識は路面標示や信号機と有機的あるいは補助的に設けられる、道路交通の安全施設であり、案内、警戒、規制または指示の情報を道路利用者に提供することである。利用者は道路標識に従い正しい通行をしなければならない。 国際的には文字を主とした標示のアメリカ方式と図形的な記号を主としたヨーロッパ方式があり、1968年以来国際連合により新たな構想のもとに統一がはかられつつある。 最近の社会情勢の中で、道路標識においても運転者の高齢化、高度情報化、地域文化など社会のニーズの多様化を考慮した対策が必要となってきている。 |
【一里塚】 起源は古代の中国にあり、一里ごとに土壌を築き、くずれを防ぐために槐(エンジュ)を植え、または銅表を立てて里数を示した。 日本では榎を植え、塚の上には小銅を立てることもあった。これは織田信長が始め、徳川家康が継いで江戸日本橋を起点とし、五間四方の塚を道の両側に築いた。塚の用は、夏は榎の葉かげに休み、秋はその実を食し、また常に人夫の賃金をはかる基準となるのみでなく、日本橋から全国への里程を知らせる役に立った。 |
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